ハバロフスク・ウラジオストック原標 9288キロの旅日記 

     

平成12年8月21日より24日まで、極東ロシア4日間の旅に参加しました。
21日(月)  金沢から、ハバロフスクまでの移動の1日でした。
22日(火)  ハバロフスク 露日合弁企業『ボストークメタル』訪問
 ボストークメタル社を訪問し、民間の立場と工場経営の現状を、経営責任者である社長より、約1時間にわたり、お話しが聞けました。
 事業内容は、
1. アルミニウムの屑、不用アルミ材を粉砕した物をリサイクル。
2. 様々なアルミ合金の生産(自動車部品)
 10年前、国営より日本企業40%、ハバロフスク60%の合弁で創業。
1990〜1993までは、競争相手も少なく、利益はありましたが、1995年頃より設備を少しずつ充実させたために、経営が厳しくなり、1997年より赤字経営となり、リストラ、合理化を続け、現在危機を切り抜けています。しかし、現在は非常に高金利(25%〜32%)で、国内での需要も厳しく、経営は苦しいとの事でした。最近、原材料の買い付けに中国の勢力が入り込み、買占めをするために、少しずつ材料高になってきています。
 国境を接している地元では、将来いろいろな軋轢が発生する事が予想され、その時は、中国の力のほうが勝り、ロシアは少し分が悪いのではないかと思いました。
22日 午後  ハバロフスク州政府庁舎表敬訪問
 アビクリン経済委員会委員長、シェフチェンコ中小企業長、両名よりハバロフスク州についての説明を受ける。
 ハバロフスク州は600万ku。中心地はハバロフスクである。日本の約2倍の面積を有し、北部にはトナカイなどが生息し、南部にはトラなどが生息している。
 州全体で150万人ほどの人口を有し、ハバロフスク市周辺には、60万人を有する。
州を中心にシベリア鉄道が横断し、沿岸州のコンテナ中継地点になっています。中国との交易が盛んで、アムール川を媒体にした交通網の利点があります。
 資源は、森林、鉱山、鉄鉱石、金、プラチナ、その他天然資源に恵まれていますが、開発はまだ進んでいません。
 工業関係の工場は、軍需工場が多かったので、現在は不況に入っている。これを再整備し、中小企業向けに改善していきたいと思います(アムール川の水系を利用するために造船関係の会社及びオーバークラフト、水中翼船などの産業を盛んにしたい)。
 ハバロフスク大学は、ロシアの中でも、レベルが5位くらいの見識のある大学です。
この大学を利用して、人材育成、情報改革、法律整備などに力を注ぎ、優秀な人材を作り出し、ヨーロッパ銀行と共同投資業務を目指しています。
 インフラ、整備が非常に遅れているので、整備をするために建設業に関わる、州人民の活力を生み出すために、中小企業の育成に力を注いでいきたいと思っています。

 両委員長のお話しを通して、ハバロフスクの経済産業は非常に低迷して、混沌としているように受けとめました。それに対する、州政府や工場経営者の地道な努力が伺えました。
 しかし、中国の熱気ある民族的なパワーに対して、ロシアの方々は一年のうちの半年近くを厳しい気候に阻まれたり、長く続いた社会主義国家により感性を抑圧されてきたりした習慣により、なかなかエネルギーとして爆発しにくいのではないかと思いつつ、国土の広さも関係しながら、長い道程を辛抱強く、歩いていくのではと思われました。
 商工業の取引としては、現状ではパワー不足で、投資できる状況ではないと思いましたが、隣国の、まして、日本海側の私達としては商売を抜きにしても人的な交流を深める必要があると感じられました。
 町の印象としては、人々がゆったりとして、おおらかな大陸性の風土に包まれた、魅力を感じました。

23日(水)  ハバロフスク沿海州ビール工場(PIVOIDUSTRYA PRIMORIVA)見学
 ハバロフスクよりウラジオストックへ向う国内便が2時間ほど遅れたので、ビール工場の社長とは会えず、製造部長にお会いし、お話を伺った。
 ビール工場は、18年前に国営工場として設立され、極東沿海州一円にビールの供給をしていました。しかし、10年前に国営より民営になり生産性も落ち、販売量も低下しました。5年前に危機を打開するために工場の一部をアメリカとの合弁、『コカコーラ』に売却しました。そして、韓国資本と提携し、現在、採算性を上げている状態であり、技術陣は消費者に喜ばれるビール作りを目指して頑張っているとのことでした。

 私達が訪問した時刻は操業時間が終わり、従業員の姿は見えませんでしたが、自分に責任のある発酵炉の発酵状況を見つめる女性技術者が数名、働いている姿が印象的でした。
 そのほか、部署部署に数名の現場責任者がいて、自分の責任を守るために働いている姿にも出会いました。
 工場見学を終え、ミーティング室に案内され、コンサルティングマネージャーと製造部長とのわずかな懇談を持ちました。
 製造部長は女性で、自分達が作るビールの品質を上げるために非常に努力しているとの事で、国営の時代では作りさえすれば、黙っていても売れたと言う構造から、努力しなければ売れなくなった現状があると説明を聞き、先刻見た、工場の炉を見つめる女性技術者の真剣な眼差しが思い出されました。
 5種類のビールの試飲をさせて頂きました。軽いビールはそこそこに飲めましたが、重いビールは、癖があり、あまり、うまいとは思いませんでした。 コンサルティングマネージャーは韓国の方で、昔、沿海州唯一のビール会社でしたが、ハバロフスクにロシアと日本の合弁のビール会社(どこのレストランでもアサヒビールを薦められた)が出来、競争が激しくなったので、どんなに困難なことがあっても、日本へこの沿海州のビールを輸出したいと強く語っていたのが印象的でした。日本でこのビールに出会うことがあったら、一度くらいは飲んであげようと思っています。
 余談ですが、ロシア国内の車(自家用車、貨物を含めて)の80%が日本の中古車でした。このビール工場の中で、なつかしい車に出会いました。“島屋建設”の名が入ったトラックが!、向うでは社名を消さずに使っているので、思わず、笑ってしまいました。

24日(金)  ウラジオストック市内観光(潜水艦C−56博物館、郷土資料館、
        海軍博物館、自由市場等)
 ウラジオストック州政府訪問。数日前に台風による、水害が発生し、副知事がその対策で忙しく、お会いできず、産業部長、中小企業課長(美人でした)との面談になり、約1時間、懇談させていただきました。ウラジオストックもこの3ヶ月で、ドロップアウトした企業が一万件以上発生し、10万人の失業者が出ているそうで、州全体の23%の商業権が失われているとの事です。今月に入り、プーチン大統領の指示により、『中小企業支援法(2年間の期限立法)』が導入され、中小企業再建対策に力を入れることが決まりました。
 分より、開発部門の労働者のほうが高給のようでした。)

 ウラジオストックは人口60万人位で、ハバロフスクと定住人口は変わりませんが、軍人、海運従事者、漁業関係者など定住しない移動推定人口が、プラス30万人ほどで形成されているため、ハバロフスクよりウラジオストックのほうが国に動きがあり、活気を感じましたが、治安はあまり良くなさそうです。
 金角湾を見学し、この地が施設の重要性を認識すると共に、極東唯一の不凍軍港であるゆえに、この地を確保するために、いかほどの人間の血が流され、この地を維持するために、莫大なる人間のエネルギーが吸い取られたのかが推測されました。

 人々の表情は硬く、一見怖そうな感じはしましたが、同行の友人がコインを購入するために交渉したところ、言葉こそ通じないのですが、実直そうな対話と価格交渉にこの国の人たちが誠実で、正直であるとの印象を受け、別れの挨拶を交わしたときに笑顔の中にあるブルーの深い瞳が暖かく、ホッとしました。

 帰国前、シベリア鉄道のウラジオストック駅を見てまいりました。
 都会のモスクワから極東の端のウラジオストックに着く旅人たちはどのような思いで降り立ち、また、ウラジオストックから栄光のモスクワへ旅立つ人は、どのような期待に胸躍らせて、鈍い色を放つ4本の鉄路を見つめていたのでしょうか。
 ここで、興味深い話を耳にしました。
 ウラジオストック駅とモスクワ駅が同じ作りをした建物だと言うのです。
都会から都落ちしてくる旅人がこのうら寂しい最果ての地、ウラジオストックで同じ建物に出会い、さぞかし心が癒されたことでしょう。ここに設計者の思いやり(ロシア人のやさしさとでも言うか)をかいまみたような気がします。

 プラットホームに立っている元標の、9288kmの文字がモスクワとの遠隔の地を偲ばせ、モニュメントを見上げながら、ふと、旅の楽しさ、終わりの寂しさを感じたことを記し、筆を置きます。

                                2000.9